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諏訪光洋

代表取締役社長
諏訪 光洋

ロフトワーク15年、幸運の女神とラプラスの悪魔

ロフトワーク 発祥の地、ニューヨークブルックリンのDUMBOエリアにあるロフトアパートメント。社名の由来はここから。

17年前、1998年。

米国Yahoo! の社内には6,000人を超えるサーチャーと言われる人々が働いていた。今では信じられないことにインターネットはその6,000人によって手作業で1サイトづつ分類されタグがつけられ「整理」されていた。人々が目当てのサイトにたどり着くにはそのサーチャーによる分類に頼っていた。しかもその"サーチャー"はちょっとした花形職業だった。

Googleは生まれたばかり。被リンクの数という「結節点」のアルゴリズムを見つけたことによってYahoo! を超える検索の精度が部分的に生まれてきて話題になってきていた。でも精度やクロールの量、データ量は現在ほど洗練されていなかった。多くの人々はYahoo! をこよなく愛し、Googleを懐疑的に見ていて未来の可能性に気づいている人は少なかった。

Appleは底辺をさまよっていた。MacOSはOSのインタフェースにおける使いやすさ、つまりUXにおけるアドバンテージという過去の資産を食いつないでいたものの、エンジニアリングもビジネスもひどかった。OSは不安定で1日に数回完全にフリーズしていた。Macそれ自体は格好悪くWindowsPCより1.5倍割高で、最後に残ったユーザーであるクリエイターやデザイナーも皆がいい加減Windowsに乗り換えるべき時なんじゃないかと悩んでいた。

Amazonが販売していたのは本だけだった。

ロフトワークの最初のオフィス。渋谷区神泉の小さな一室からスタート。

自分の名前で勝負ができるトップクリエイターの数は限られていた。世界で数百人のファインアーティストやファッションデザイナー、広告やメディア業界出身のアートディレクターやクリエイティブディレクター、20年近い徒弟制度をくぐり抜けた建築家や写真家。世界で500人に満たない映像監督や映像作家。「一流のクリエイター」になるには、ごく一部の天才を除くと強力な組織、あるいは強力な先輩に属してそこから頭角を示す必要があり、つまりクリエイティブはギルド的な世界を色濃く残していた。

僕は米国NYでフリーのデザイナーをしていた。僕は2つの対照的な環境の両方に属していた。東京でJapanTimesという新聞社から学んだ「グラフィックデザイン」がWEBやデジタルの台頭によって縮小していく事に気づいている人はいなかった。多くのグラフィックデザイナーはデジタル化に率先して立ち向かっていた。WEBデザインは発展途上で「何でも屋」でなければ仕事にならないし、市場も確立されていなかった。その頃人気だった米国ドラマ「Sex&The City」ではWEBデザイナーのスキッパーはミランダとキャリーから「イマイチでオタクなヤツ」として描かれていた。

2つめのオフィスは駒場東大前の外国人向けマンション。

去年、2014年。

この15年近く爆発的に進んでいたWEBの進化は少しスピードを落としてきた。2014年も沢山のWEBサービスが生まれたはずだけど、僕の生活も社会も大きく変わる「これはすごい!」と思うサービスは思い出せない。Facebookは世界中の学生にとってはやくも「古いサービス」なりつつありその攻防に必死に見える。

クリエイティブの世界で数年前まで力を失っていた「デザイン」「デザイナー」、この言葉が持つ力はすっかり復活した。15年近くでクリエイティブのギルドは随分崩壊し、代わりに新しいクリエイティブシーンやクラスターが生まれた。ゲームを中心に「イラストレーター」は10倍以上に仕事が増えているし、WEB関連の仕事は100倍以上の産業になった。サンフランシスコでの最も優秀なコーダーの年棒が20万ドルを超えるなんて1998年にいったい誰が想像しただろう。

数年前からイノベーションにはテクノロジーだけではなくクリエイティブな考え方や人材、組織が欠かせないことが"常識"になりつつある。「デザイン」という言葉はPhotoshopを操る狭義の意味ではなくサービスやプロダクト、さらにはビジネスのビジョンをつくる意味に広がった。IDEOのCEOであるTim Brownが提唱した"Design Thinking(デザイン思考)”という言葉によって「デザイン」はビジネスや社会活動で価値をつくるますます重要な能力になることを定義づけられた。

ロフトワークは2015年の2月で15年目を迎えた。

1998年頃、NYブルックリンのロフトで「こんなネットワークがあったら、クリエイティブがもっと流通するんじゃないかな」と妄想していたクリエイティブのコミュニティ。2000年に僕はエンジニアとNYに残りloftwork.comというWEBサービスをスタートさせ、林千晶は会社としてのロフトワークを東京でスタートさせた。

その1年後「諏訪君知ってる?あと銀行に40万円しかないんだよ!」と駒場の路上で林千晶に泣きながら怒られた。その後あわてて増資をしてくれる人を探していたら「君たちみたいな人にはJoiだよ」と伊藤穰一氏を紹介され、今にいたるまで15年近くロフトワークのサポーターになってくれている。

「世界は3人の運命の女神達とゼウスが出席する元老院会議により支配されている。運命の女神の仕事は、ゼウスの命令を世界が従わざるを得ない法則を示すことである。そこに幸運の女神ネメシスがしばしばその会議に参加し、予期せぬ行動をして皆をびっくりさせる。幸運の女神ネメシスはそれだけでは満足せず、予測可能な因果の何らかの支配をも主張するので因果の女神と呼ばれた」(Martinus Capella, 5世紀,カルタゴの哲学者)

全てにおこることには原因と結果がある。2015年の今、過去を見通すとネットの進化やクリエイティブの大切さや面白さの変化、それとロフトワークの成長に理由をつけることはできる。

でも全てを見通すラプラスの悪魔はいない。女神ネメシスはローマ帝国時代に入るとフォルトゥーナと呼ばれ英語の”Fortune"の語源となった。

創業15年、スタッフは92人まで増えた。

2000年からの15年。クリエイティブ、クリエイターの皆、そのコミュニティ、クライアント、そして社会と対峙してゆっくり着実に成長してきたロフトワーク。3年前につくられたFabCafeも世界に広がった。ロフトワーク台湾も生まれた。クリエイティブはイノベーションまで広がり、企業と未来を考え、プロジェクトはますます難しく大きく、責任は大きくなっている。

次の15年、皆さんとともにまた幸運の女神と一緒にありたいね。

執筆者

諏訪光洋

代表取締役社長諏訪 光洋

1971年米国サンディエゴ生まれ。
慶応大学総合政策学部(SFC)を卒業後、JapanTimes社が設立したFMラジオ局「InterFM」(FMインターウェーブ株式会社)立ち上げに参画。クリエイティブ業務を経た後、同局最初のクリエイティブディレクターへ就任。1997年渡米。School of Visual Arts Digital Arts専攻を経て、NYでデザイナーとして活動。2000年にロフトワークを起業。

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